自立するということ|つわぶきクリニック|京都市山科区の児童精神科、心療内科、精神科

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自立するということ

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自立するということ(わたしの考えるゴール)

自立するということ

「病気になる前の自分に戻りたいです」と、患者さんがいうのをよく聞きます。病気になってしまったから、そんな病気がなかったころに戻りたい、というのは理解可能な話です。

発達障害を抱えている人であれば、「定型発達に生まれたかった」と思うのかもしれません。それも理解できる話です。

でも、本当に「病気になる前の自分」に戻ってしまっていいのでしょうか?

(発達障害の人が定型発達に生まれ変わることは現代技術では無理かもしれないですが・・・)

わたしは、これは「違う」と思っています。病気になる前のあなたは、「病気になってしまう要素、環境」を持っていたあなたです。確かに病気になるというのは交通事故に遭うようなもので、運がなかっただけかもしれません。でも、そんな「不運な自分」に戻るのは、嫌ではありませんか?

だからこそ、わたしが願っているのは「もう病気にならないあなた」になってもらうことです。交通事故に遭いそうになっても自分で可能な限りの対処ができるあなたであってほしいのです。どんな不運が巡ってきても、それを振り払って幸運をつかめる人、そんな人になってほしいと思っているのです。

わたしが思う治療のゴールというのは、薬が0になることではありません。わたしが中心に据えているのは「自立」ということです。ただ、わたしの考える「自立」は、みなさんの思う「自立」とは違うかもしれません。

自立というと、一人暮らしで、自分の稼いだお金で自分の生活を全部賄い、趣味も楽しんでなんなら恋人もいるような、全く病院には縁のない健康体そのもの。そんなイメージではないかと思います。確かにこれは立派な自立です。わたしのいう自立の中に、こういった人も含まれます。

わたし自身が思っている自立というのは、もっともっと広い幅を持たせていて、薬に頼ったっていい、福祉に頼ったっていい、手帳を持っていても年金をもらっていてもいい、でも親の力は借りずに生活が成り立っていること、です。
親というのは順番で行けば必ず自分より先に死ぬ存在です。そんな存在である親におんぶに抱っこでは、いつか人生に限界がきて、破綻してしまうのです。確かに、福祉のシステムも変わることはあるかもしれません。でも、福祉に頼ること、国に頼ることというのは、日本という国がなくならない限りは生活を成り立たせることができます。
いろいろな自立の方法があったっていいと思っています。グループホームに暮らしながら、作業所にいきながら、でも余暇では自分の好きなゲームをする、とか。「それって自立って言えるの?」と思う人もいるかもしれません。でもこれも、家族に頼らない「自立」の形です。

「家族以外のところには頼ってもいいから、自分で生活していくこと」がわたしの考える自立です。でも、ここを目指そうと思ったら、実は精神科の病気の治療がきちんとそれができる段階まで進んでいないといけないのです。元の暮らしから生活水準が落ちたように感じてしまうこともあるでしょう。でも、大事なのはそこじゃない。「親」「兄弟」といった存在からの「経済的自立」がやはり必要だと思うのです。

これが「パートナー」がいるとなると話が違ってきます。よほどの年の差カップルでない限りは、どちらが先に死ぬかはわかりません。こういうケースでは別の「自立」があると思っています。でもパートナーに寄りかかってばかりの「自立」は自立したとは言えないと思います。お互いにとってお互いが必要であるからこそ「パートナー」と言えるのです。もともと家族ではなかった人ですから、お互いの存在がお互いにとって「メリット」がないと関係が破綻してしまいます。この場合の「自立」についてはケースバイケースでその都度、相談していくものかなと思っています。

なんとなくでも、わたしの考える治療のゴール、理解していただけたでしょうか。その日、そのとき話題に出さなくても、わたしは常々この「自立」を念頭に治療を行っています。